2014年3月28日金曜日

集う女の子たち―keisuke kandaの方法―





図1

このような漫画風少女のイラストがプリントされたTシャツ(図1[])、みなさんはご存知だろうか?ブランド名は「ケイスケカンダ[]」。デザインも特徴的だが、またその活動も変わっている。「発表会」と名指された独自の形態の販売会を実施し、自身のファンクラブの設立も行っている。ケイスケカンダは既存のブランドとは一線を画し、異色の活動を見せるブランドと言っても過言ではないだろう。そしてこの特徴的なデザインや活動は熱狂的な女の子の支持を集めているのである。では、なぜケイスケカンダは他とは一線を画し、ここまで一部の女の子から熱狂的な支持を集めることができるようになったのだろうか。ここでは、“トライブの創造”という観点からケイスケカンダの方法論について考えていきたい。




 ケイスケカンダの特異性――「カルト」的な人気を集める、あるいはそのように感じられる要因――はその特徴的なデザインや神田恵介が創り出す幻想的なナラティブ(物語)などによって独自のトライブ、つまり一種の「族」を積極的に産み出し、それを有している点にあるだろう。



図2


 例えば、2010年から継続的に発表されている「心恋族(うらごいぞく)」(図2[])というシリーズにそのことは端的に表れている。この「心恋族」は淡い恋心を秘めた人に寄り添う「民族服」をコンセプトにしたシリーズで、直接名に「族」とつくようにそこには一つのトライブが想定されている。また、インタビューの中でデザイナー神田恵介が「『族』という言葉にこだわったのは、『カラス族』『竹の子族』のような〝現象″にしたいという思いがあるんです。[]」と述べるようにそこでは意識的にトライブの形成が志向されている。



 しかし、このケイスケカンダが創造しようとするトライブは「カラス族」「竹の子族」などとは決定的に異なっている。なぜなら「カラス族」「竹の子族」がある種自然発生的に形成されていったのに対し、ケイスケカンダにおけるトライブは「トライブの創造」が自覚的に志向されているからである。そのような歴史性を前提にした上でデザイナー自らが介入し、デザインの段階においてその現象を再現しようと試みているのだ。




ではその意図的に作られたトライブだが、一体どのような要因がこれを成立可能とさせているのであろうか。



その要因の一つに、独自の「少女像」の創出とデザインの過剰さがあげられる。「心恋族」シリーズの衣服・デザインを見てみると様々な装飾・アイテム―砂糖菓子のような樹脂ボタン、パステルカラーに水玉がプリントされたジャージー、アニマル柄の刺繍…など―を「少女性」の記号として配置することで「ケイスケカンダらしさ」が構築されている。このような「心恋族」で特徴的に見られる独自のトライブを創り上げる手法はケイスケカンダというブランドそのものに通底しており、実践されている。ケイスケカンダのデザインをよくみると、パステルカラー、水玉模様、ギンガムチェック、キルト、レース、フリル、リボンといった色彩、柄、素材、アイテム―「少女性」の紋切型―が多用されていることが分かる。そこでは表層において強い意味作用を持つようなデザイン・装飾が選択されているのだ。こうした強い意味作用を持つデザイン・装飾はメディアとしての衣服を身に纏った時に現れるメッセージをより強固なものとする。過剰に配置されるそれらの紋切型とそこに付随する記号性の強さが交じり合うことによって「女の子」(「少女性」)のイメージは増幅させられ、独自性を帯びた「ケイスケカンダ」という一つのトライブを形成することに成功するのである。


図3

ではここで志向されている「女の子」とはどのようなものであろうか。ケイスケカンダはこうしたデザインの過剰さやそのメッセージ性・記号性の強さを基にしながら、ブランド内において規範化された想像的な女の子のイメージを創り出そうと試みているように思われる。コレクションと共にきむらももこや庄子佳奈(図3[])などによって「女の子」のイラストが描かれることや様々な媒体でデザイナー神田恵介によって断片的な少女像が語られることは、そうしたケイスケカンダにおいて規範として機能する女の子の表象・型の創出の例として挙げることができるだろう。




また、ここでの少女像はあくまで想像的であるということに留意しなければならない。この規範となり得るような少女像(「女の子」)は「実体」を伴ったものとしては提示されているわけではない。理念的かつ想像的なものなのである。あくまで、具体的な「実体」としてではなくイラストや文章という形態によって抽象的でありながらも規範として機能する少女像を創出しようとするのである。



まさにこうした少女像の創出こそがトライブを形成する(あるいは、トライブが形成されているように感じられる)ことを可能にしているといえる。規範となり得るような少女像(理想的イメージ・モデル)が創り出されているため、女の子たちはそこへと方向づけがなされており、女の子たち自身もそうした想像的な少女像への接近を試みようとしている。そのため、そこでは着用者(女の子)の個性は消され、画一的な様相を呈す。また、同時にそうした画一化が進む過程で着用者(女の子)間においてもそうした規範の形成と再強化が並行的に行われているといえるだろう。それに加えて、ケイスケカンダで用いられる特徴的なデザインと装飾の過剰さはその「強さ」そのものが契機となり、反転が起こり、同様の差異を見出すことが困難な状態・類型として一つに包括するような認知を生むのである。こうした共同体の内部において規範となり得るような想像的な少女像が創出されていることと、そのデザインの「強さ」が同じ傾向を有している、またはそのような印象を引き起こしているといえる。そのため、一つのトライブの形成―あるいは、そうした形成がなされていると錯覚させること―が可能になっているのである。



図4
また、その「強さ」を持ったケイスケカンダのデザインだが、ただ「少女性(ガーリー)」という一語で語ってしまうのはいささか乱暴すぎるように思われる。むしろ、最終的に「かわいい」のコンテクストに回収されることを志向しながら、それまでの「かわいい」の系譜では見いだされてこなかったデザイン、ある種の生々しさが表出する可能性のあるデザインを用いる点にこそ「ケイスケカンダらしさ」をより強固にするものは存在する。例えば、一見して古着のリメイクということが分かる(痕跡が残された)手作り感あふれるデザイン、ノイズやバグのような荒い手縫いのステッチ(パンク的な要素)、日の丸をモティーフにしたTシャツなどをその例として挙げることができる。あるいは「(ヘテロセクシャルな)性に対する眼差し」を織り込んだ衣服である。神田恵介の衣服作りの原点が女の子への叶わなかった想いであるように「(ヘテロセクシャルな)性に対する眼差し」はそのクリエーションの根幹にあるといえる。下着が見えている少女のイラストをプリントしたTシャツ(女子高生のTシャツ/バレリーナのTシャツ、図4[])や、2013年秋冬コレクションには「援助交際ジャケット」と名付けられたジャケットが発表されるなど、スキャンダラスなイメージを立ち上がらせることが不可避なモティーフを用いている。こうした過激になりうる要素が内在するモティーフを―後述するが―ケイスケカンダはブランド(トライブ)の中で共有されるナラティブ―物語-を作り上げることによって、またそこでのコノテーションに依拠することで「かわいい」という感覚へ転回させている。





ここまでは、デザインとそこから見出される規範として機能する想像的な女の子の表象の創出という観点からケイスケカンダのトライブの創造という手法について考えてきた。ケイスケカンダというブランドが登場する以前からもそのベースとなっている「少女性」の紋切型などは「かわいい」という感覚的な側面から受容され、表面的なデザインに多く用いられていた。しかし、ケイスケカンダはその紋切り型の引用の手法(同様の系譜では見いだされてこなかった要素とのリミックスや独自の解釈など)そのものが特徴的であったために新しい立ち位置を確立していったといえる。そのため、このような視覚的なデザインがこのトライブの形成に大きな役割を果たしたということは明らかであろう。



しかし、この視覚的なデザインのみがトライブの形成を可能にさせているのではないように思われる。デザインと相互に作用しあいながら内閉した空間を作り出し、そこに女の子を取り込むという方法、これにこそケイスケカンダのトライブ形成の独自性があるのではないだろうか。全国各地で買い手と直接交流を図る展示会(発表会)の開催やファンクラブの設立といった活動からも分かるように、衣服そのものに留まらない外部に存在するシステムを上手に利用することで、独自の世界観の共有が容易な共同体の形成を可能にしている。このような共同体の中で、デザインは相互に作用する言葉やナラティブを内包させられることで一つのものとして完成する(先述した心恋族では神田恵介によって書かれた文章が同時に発表されている)。同時にそこではブランド(共同体)の中心にデザイナーが顕在化するような構造が自覚的に作り出されている。デザイナーズブランドという形態そのものが本来そのような構造を有することを特徴とするのだが、ケイスケカンダが異質である点は積極的にデザイナー自身のクリエーションの軌跡やパーソナリティーを物語化・象徴化し、それをブランド(共同体)の中心に据えようとしている部分にあるといえる。ケイスケカンダというブランドでは神田恵介によってその衣服がつくられるというそのこと自体に重要な意味が見いだされる。ここでの神田恵介とは単に実体的なものとは異なる物語内で創出されたイメージとしての「カンダケイスケ」であり、またそうした「カンダケイスケ」がブランドの中心に不可欠なものとなっている。この定型化されたイメージとしての“カンダケイスケ”不在においては“ケイスケカンダ”は成り立たない。荒い手縫いのステッチという意匠―作り手のイメージを要請するデザイン―が用いられる背景にはこのような「カンダケイスケ」像とそこでつくられる衣服の不可分な関係の表れだといえる。



また、展示会においてデザイナーと顧客の密接なコミュニケーションの場が十分に確保されていることや様々なメディアでデザイナーの衣服作りの原点・エピソード(叶わなかった女の子への想い)が反復されることによってそこでは価値が生成され、ブランド(デザイナー)と顧客の間で物語空間の容易な共有を可能にしている。他にも各ルックに付けられるそのデザインのイメージを増幅させるような名前やブランド・コレクションイメージを伝達するためのイラストや文章の中で設定・引用される想像的な女の子の表象は独自の世界観をより強固なものへとし、物語空間を鮮明化させ、「ケイスケカンダらしさ」を獲得するために機能している。このような空間の共有によってそこでは独自のコミュニケーションの形式が作られており、顧客はケイスケカンダにおいて生み出されているナラティブを含めて「衣服」を消費(購入)しているといえる。



こうしたデザイナーを中心化しながら、内閉性を伴った共同体・独自のトライブを創り上げる方法こそが熱狂的な人気を誇る、あるいはカルト性を帯びたブランドというイメージを引き起こす要因なのではないだろうか。 

 
2012年東京都現代美術館で行われた「Future Beauty 日本ファッションの未来性」展にケイスケカンダは「白の衝撃」と題して「紙エプロン」を出展した。もちろんこれは1980年代前半にパリ・コレクションで川久保玲、山本耀司によって発表されたルックへの形容である「黒の衝撃」のパロディであるが、ここにただ内閉的な共同体を創り上げるだけではないケイスケカンダのアイロニカルかつユーモラスにファッション・システムに切り込んでいく姿勢が示唆されている。そもそもパロディという手法はコンテクスト、あるいは歴史の共有を前提(約束事)とし、その上で新たな方向性を提示するものである。本展では川久保玲、山本耀司による衣服も出展されており、その対立は鑑賞者に明確なものとして認知させられる。そこでは一見すると倒錯したやり方によって「ファッション」の新たな方向性を模索しようとするケイスケカンダの姿を見出すことができる。また、神田恵介はインタビューの中で次のような発言も行っている。

 
   かつて、あのシャネルが下着の素材でしかなかったジャージーを使ってドレスを作ったときに、最初は後ろ指をさされていたと思うんです。でもそうやって後ろ指をさされていた服装が、やがてファッションの歴史に名を残すほどのものになった。おこがましいけど、僕はそういう服装を目指したい。[]


 このような活動や発言からケイスケカンダの「ファッション」への視座が読み取れる。その特異性であるトライブの創造はただ内向的なものとして理解すべきではなく、制度化されたファッションの領域から逸脱しようとする側面に注目すべきであろう。ケイスケカンダはただ内閉的な共同体を構築し、―そこに留まるだけでなく―むしろ独自性を持った一つの共同体を構築するというプロセスを一種のファッションにおける「革新」の手段として取り込もうとしているのだ。



 このような分析を通して、ケイスケカンダは「ファッション」の新たな可能性を提示し続けるブランドとして浮かび上がってくるのではないだろうか。





繊維研究会
text: Ryuhei Nakabayashi
edit: Hidaka Yamada







[] 『ケイスケカンダ ホームページ』、〈http://ribbonful-store.com/?pid=21751578〉、[2013325日閲覧]

[] デザイナー神田恵介によって2005年に立ち上げられたレーベル。

[] 『ケイスケカンダ ホームページ』、〈http://ribbonful-store.com/?pid=34545714〉、[2013325日閲覧] きむらももこによるイラスト

[] 展示会カタログ『感じる服 考える服:東京ファッションの現在形』以文社、2011年、76頁。

[] 『ケイスケカンダ ホームページ』、〈http://www.puramo-for-girl.com/〉、
[2013325日閲覧]  庄子佳奈によるイラスト

[] 『ケイスケカンダ ホームページ』、〈http://ribbonful-store.com/?pid=21750659〉、[2013325日閲覧]

[]「ブランド研究 ケイスケカンダの独創力」、『装苑』20134月号、63頁。



2013年12月19日木曜日

「つくる を きる」展 & 2013年度の活動を終えて



大変遅くなりましたが、12/1に開催いたしました2013年度繊維研究会「つくる を きる 展」無事終了致しました。



当日は多くの方にお越し頂き、有難うございました。


そしてトークイベントにて登壇して頂いた佐藤秀昭様、古瀬伸一郎様、加藤哲朗様、また「ファッションは更新できるのか?会議」より水野大二郎様、横山泰明様、金森香様、永井幸輔様、齋藤歩様、有難うございました。



他にも多くの方々にご協力頂き、無事終えることが出来ました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。




当日の写真はリニューアルしましたHPに掲載致しましたので、そちらと合わせて是非ご覧下さい。










繊維研究会は今年度、詩人の文月悠光さんと行った「ことばのシャツ展」や「服作りのパターンランゲージ」の制作協力、ブログのリニューアルなどを行ってきました。




これらの活動は、ファッションについての議論をより開かれたものとし、皆様にファッションについて新たな見方、関心を持って頂くことを目標としておりました。
「つくる を きる 展」はそういった1年間の活動の集大成としてのインスタレーションでした。



今回皆様から頂いたご意見を参考にし、今後の活動に生かしていければと思っております。




繰り返しになりますが、「つくる を きる展」にお越し頂いた皆様、活動にご協力して頂いた皆様、本当に有難うございました。



これからも早稲田大学繊維研究会をよろしくお願い致します。





2013年度早稲田大学繊維研究会代表
泉澤 拓志



2013年11月28日木曜日

追加情報 :「つくる を きる 」展





12/1(日) 繊維研究会「つくる を きる」展の開催に伴いまして、展示と並行して同会場でのトークイベントの開催が決定いたしました。





4時間連続特別トークセッション
「ファッションデザインを書き替える~オープンデザイン、技術革新、モードソバージュ~」


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1430~1530
トークセッション1【「つくるをきる」ツアートーク】
概要:繊維研究会2013インスタレーション「つくる を きる」展の企画概要の紹介。今回トークセッションでコラボレーションをすることになったファッションは更新できるのか?会議のこれまでの成果をふまえて、「つくる」に関わるデザイナーの役割の変化とそれにともなうファッションデザインの変容を、繊維のOBと金森さんを交えて話す。


モデレーター:西本裕亮(繊維研究会)
登壇者:金森香(NPO法人ドリフターズ・インターナショナル、シアタープロダクツプロデューサー)×富久田千穂(繊維研究会、デザイナー)×佐藤秀昭(The Dress & Co.ディレクター 、元TOKYO RIPPERデザイナー / 繊維研究会OB)×古瀬伸一郎(アッシュ・ペー・フランス PR01.ディレクター、元TOKYO RIPPERディレクター)


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1600~1630
トークセッション2【身体は更新できるのか】
概要:プロのデザイナーとして、ファッションに関わるということについて議論。


モデレーター:堀井隆秀(繊維研究会OB)
登壇者:加藤哲朗(ka na ta デザイナー、dobyonly編集長)


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1700~1900
トークセッション3【「つくる を きる」の未来】
概要:「つくり方」がオープンになっていったとき、これからファッションに関わる私たちの在り方はどのように変容するのであろうか。「つくる を きる」の未来についてファッションは更新できるのか?会議実行委員のメンバーを招いて議論する。


モデレーター:泉澤拓志(繊維研究会代表)
登壇者:水野大二郎(慶應義塾大学環境情報学部専任講師、京都大学デザイン学ユニット特任講師、『vanitas』編集委員、 FabLab Japan Network メンバー)、横山泰明(WWD JAPAN)、金森香(NPO法人ドリフターズ・インターナショナル、シアタープロダクツプロデューサー)、永井幸輔(弁護士、Arts and Law、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン事務局)×齋藤歩(編集者、繊維研究会OB)




こちらのトークイベントへのご参加もお待ちしております。
皆様お誘い合わせの上、ぜひご来場下さい。





繊維研究会 一同

2013年11月1日金曜日

つくる を きる






技術はクリエイションの担い手を広げる。
パソコンが個人の手に渡ったときのように、今日、服づくりにおけるそれは着実に我々に近付いてきている。



従来のプロフェッショナルな服づくりでは、つくる過程は構想したデザインと完成形をつなぐ透明なものである。
一方民主化された服づくりにおいて、過程は色を持ち、新たなかたちを形成する。



その色を取り出して衣服をつくること。
それはこれからの新たな衣服のデザインを考えることである。







2013年度 繊維研究会は
”過程が生む新たな衣服のかたち”を模索します。








「つくる を きる 展」

date 2013/12/1(Sun)


place 代官山 HILLSIDE ANNEX-A
open 12:00 / close 19:00
entrance free





皆様お誘い合わせの上お越し下さい。
心よりお待ちしております。







繊維研究会 一同



2013年10月10日木曜日

どうする、東コレ



 
 NYから始まり、ロンドン、ミラノ、パリと開催されてきたファッション・ウィーク。いよいよ東京でのファッション・ウィークが始まろうとしている。この東コレと呼ばれる東京でのファッション・ウィークだが、遡ると実は70 年代半ばから始まり今に至っている。現在は日本ファッション・ウィーク推進機構(以下「JFWO)という組織が主催し、2011年より「メルセデス・ベンツ」を冠スポンサーとして迎え、再始動した。この時より「メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク東京」という恐らく皆さんの馴染みのある名称となったのである。







 強力なメインスポンサーを付けて再始動した東コレ。再始動から何シーズンか経った昨今、この東コレについてよく耳にする話がある。



「メディア、バイヤーが来ない」



 もちろんゼロという訳ではないだろう。ただ4大コレクションと比較した際の全体の割合が少ないというのである。また、国内だけでなく海外からのメディア、バイヤーの来場者数が増えず、依然として少ないということも警鐘されている。つまり、国際的な認知を得られずにいるということだ。そしてまた、各ブランドの関係者による内輪的で盛り上がりに欠けるファッション・ウィークだと主張する意見も少なくない。それでは一体なぜ、東コレがこのような現状になってしまったのだろうか。




  JFWO」という組織が抱える問題

 ここで一つ興味深い記事がある。朝日新聞デジタル515日の「東京コレクション 再び輝くために」という記事の中で、アンリアレイジのデザイナー、森永氏が次のように発言している。

 「JFW主催のファッションウイーク開催時期に新作のショーを行っていますが、JFWには加入していない。ブランドを設立して11年目。参加を誘われていますが、入るメリットがないのでお断りしています。JFWが現状のままでは、参加してもビジネスにつながらないと思うからです。
 僕は世界で勝負したい。ショーとは本来、商売を拡大するためにやるものなのに、JFWはショーの開催自体に力を入れています。そこから先の、物を売っていく道筋が整備されていないのです。(1)

 新体制後、一般応募ブランドや国内の著名人の招待、六本木から渋谷への会場の移転などにより国内からの注目を集めるため、様々な戦略を仕掛けてきた。しかしそれらは結果として新人の育成や知名度のアップを優先させ、各ブランドが本来のビジネスとしての機能を果たせずにいるように思えてならない。開催することに全力を注ぎ、一種の「お祭りムード」を漂わせているJFWOという組織体制自体に先の問題の一因があるように思われる。








メディア、バイヤー側の立場から
 
ただメディアやバイヤーにもそれなりの理由があるようだ。海外から彼らが来ない理由の一つとして地理的な要因がある。彼らはただでさえ欧米のファッション・ウィークを回るのに長期間オフィスに戻れない状態が続く。それからさらに極東にある日本にわざわざ足を運ぶのが難しいのであろう。それ以上に東コレに求心力があれば良いのだが、国内市場のみを意識したサイズ展開や主要トレンドからかけ離れたコレクション等は、他国からしたらあまり魅力が感じられないのだろう、彼らのほとんどが足を運ばないというのが現実である。ここに東コレの求心力の無さが裏付けされている。


また国内のメディア、バイヤーの多くは保守的で急速な利益確保のため、人気のあるブランドしか取材、買い付けをしない傾向にあり、地方や小規模なセレクトショップからスタートしたブランドが売れるようになってから初めて受注を始めるという場合も少なくない。

また、日本のファッション誌の特徴として海外のようにヴィジュアルのイメージで発信する媒体は少なく、ほとんどがカタログやカルチャー誌のいずれかの範疇に収まってしまう。つまりそれらを伝えるための出版物が少ないとも言える。


さらに言えば、日本の特徴(日本だけでは無いかもしれないが)として、一度ブームが起きれば街中こぞって同じ格好をする様な傾向が見られる。これでは突出した才能も成熟する前にただのブームとして切り捨てられてしまう可能性がある。持ち上げられるだけ持ち上げられ、消費されて空気のような存在になってしまった例はいくつか見受けられる。もちろん彼らメディア、バイヤーの本心としては新しいデザイナーを支援したいと思うところがあるかもしれないが、これらのことを考慮すると実際には安定するまで手を出すことが出来ず、結局東京のファッションシーンを盛り上げられずにいるようだ。




デザイナーの立場から

 また、デザイナー自身のバックボーンも少なからずこの問題に起因すると思われる。先述の森永氏や数名のデザイナーたちを除けば一般的に東コレに参加するデザイナー達はクリエーションに注力するばかりで市場に目を向けていないとよく言われる。しかし、そこには彼らが過ごしてきた90年代のコンセプチュアルな服作りとそれに対する00年代の反動、それと並行する日本の90年代ストリートファッションの開花が要因している。


 80年代までの西洋中心的なモードに対して一石を投じたコムデギャルソンとヨウジヤマモト。サブカルチャー、アヴァンギャルドの役割を果たし90年代にはモードの中核を担うほどに成長していったことは有名であろう。その後、「グランジ」、「脱構築」、「アンチ・モード」の代名詞と共にこの流れを引き継いだマルタン・マルジェラ。彼らによる衣服の再定義はその後メインカルチャーとなり、次世代のデザイナーたちへ多大な影響を及ぼすことになった。
 ところが80年代から始まったこのコンセプト重視のクリエーションは90年代の終わりに成熟を迎えた。そしてLVMHを筆頭とした MA、ファストファッションの台頭、衣服の民主化等により、00年代では洋服は「精神的な実験の場」から「服を着る人自身を中心とした直観的、感覚的なもの」へと移行していった。

 また、社会的ヒエラルキーや宗教によるジェンダーのタブーが弱く、洋服の歴史の浅い日本では西洋文化はすべてフラットに消費された。そのため、90年代には西洋モードとアメリカのポップカルチャーがミックスされたストリートカルチャー(APEUNDERCOVER等)が花開くこととなった。このストリートカルチャーの台頭により従来の西洋コンプレックスは徐々に小さくなった。しかし、その副産物として、等身大の自分を肯定するような現実主義的な価値観が生まれた。原宿付近で撮られたスナップ写真等を見ればこの価値観は一目瞭然だろう。


「精神的実験としての服づくりと売れる服づくり」

コンセプチュアルなクリエーションで駆け上がった時代、及びその後の商業主義への移行を経験し、成長してきた彼ら。それに加えて花開いた自己肯定的な価値観。彼らがこの狭間で苦悩するのは容易に想像できると思う。






  東コレの今後は?

これまで先の問題の要因を多角的に述べてきたが、それでは一体東京コレクションは今後どうあるべきなのか。

わずかな資金で商品としての服を作っても評価されない市場であれば、ブランド側は「アート、造形としてのファッション」に留まったり、または「writtenafterwards」の山縣氏のように「教育としてのファッション」という新しい市場を切り開き、既存のブランドとの差別化を図ったりするというのは間違った戦略ではないのかもしれない。しかし結果的に排他的、内向的、あるいは自己満足的な服作りや戦略と呼ばれるに過ぎず、問題は何も変わらない。

もちろんそのトレンドやマーケットに左右されない自由なクリエーションが東京コレクションの良さだと捉える人もいるだろう。しかし、これからの日本ファッションの産業を担う次世代のデザイナーであるという自覚の希薄さが彼らから伺えてしまう。また、我々がそれらを良さだと捉えるなら、現行のJFWOという組織制度は果たして必要があるのだろうか。ファッション・ウィークを組織立てて行っていく以上は、各ブランドがある程度「ビジネス」という形で成功を収めるのは当然な流れである。もしもそれを市場である我々が望まず、これが東京の良さだと言い張るのなら、現状でのJFWOの存続の価値はないと言える。ファッションとは本来、人に夢を与え勇気づける楽しいものだから、純粋にファッションを楽しむための祭典としてのショーであるならばJFWOは巨額の大金を投資する必要はない。


 決して東京コレクションの存在自体を非難しているわけではない。ただ、日本におけるメディア及び小売り側の体質を変えるのは上に述べたように難しいし、日本という地理的ビハインドを上回るようなクリエーションは一朝一夕で出来る物でもなく、海外のメディアやバイヤーが足を運ぶ日はまだ遠いだろう。そしてデザイナー達が挑戦できるような市場を作るのにも時間がかかると思われる。それならばJFWOはショーという媒体を組織立てるのに固執する必要はなく、直接的なデザイナーへの支援、教育制度の充実、などの他の方法を模索する方が良いのではないだろうか。JFWOはこれらの点を留意した上でもう一度今後の動向を決める必要があるのかもしれない。



皆さんはどうあるべきだと考えるか。
留まるか変わるか、世界に向けて羽ばたくのか。
どうする、東コレ。





繊維研究会
text: Yusuke Nishimoto
edit: Hidaka Yamada







(1)    朝日新聞デジタル「東京コレクション 再び輝くために」2013.05.15



参考URL

・メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク東京HP
・日経ビジネスデジタル「デザイナーズブランドが育たない日本」2013.01.16