2013年12月19日木曜日

「つくる を きる」展 & 2013年度の活動を終えて



大変遅くなりましたが、12/1に開催いたしました2013年度繊維研究会「つくる を きる 展」無事終了致しました。



当日は多くの方にお越し頂き、有難うございました。


そしてトークイベントにて登壇して頂いた佐藤秀昭様、古瀬伸一郎様、加藤哲朗様、また「ファッションは更新できるのか?会議」より水野大二郎様、横山泰明様、金森香様、永井幸輔様、齋藤歩様、有難うございました。



他にも多くの方々にご協力頂き、無事終えることが出来ました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。




当日の写真はリニューアルしましたHPに掲載致しましたので、そちらと合わせて是非ご覧下さい。










繊維研究会は今年度、詩人の文月悠光さんと行った「ことばのシャツ展」や「服作りのパターンランゲージ」の制作協力、ブログのリニューアルなどを行ってきました。




これらの活動は、ファッションについての議論をより開かれたものとし、皆様にファッションについて新たな見方、関心を持って頂くことを目標としておりました。
「つくる を きる 展」はそういった1年間の活動の集大成としてのインスタレーションでした。



今回皆様から頂いたご意見を参考にし、今後の活動に生かしていければと思っております。




繰り返しになりますが、「つくる を きる展」にお越し頂いた皆様、活動にご協力して頂いた皆様、本当に有難うございました。



これからも早稲田大学繊維研究会をよろしくお願い致します。





2013年度早稲田大学繊維研究会代表
泉澤 拓志



2013年11月28日木曜日

追加情報 :「つくる を きる 」展





12/1(日) 繊維研究会「つくる を きる」展の開催に伴いまして、展示と並行して同会場でのトークイベントの開催が決定いたしました。





4時間連続特別トークセッション
「ファッションデザインを書き替える~オープンデザイン、技術革新、モードソバージュ~」


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1430~1530
トークセッション1【「つくるをきる」ツアートーク】
概要:繊維研究会2013インスタレーション「つくる を きる」展の企画概要の紹介。今回トークセッションでコラボレーションをすることになったファッションは更新できるのか?会議のこれまでの成果をふまえて、「つくる」に関わるデザイナーの役割の変化とそれにともなうファッションデザインの変容を、繊維のOBと金森さんを交えて話す。


モデレーター:西本裕亮(繊維研究会)
登壇者:金森香(NPO法人ドリフターズ・インターナショナル、シアタープロダクツプロデューサー)×富久田千穂(繊維研究会、デザイナー)×佐藤秀昭(The Dress & Co.ディレクター 、元TOKYO RIPPERデザイナー / 繊維研究会OB)×古瀬伸一郎(アッシュ・ペー・フランス PR01.ディレクター、元TOKYO RIPPERディレクター)


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1600~1630
トークセッション2【身体は更新できるのか】
概要:プロのデザイナーとして、ファッションに関わるということについて議論。


モデレーター:堀井隆秀(繊維研究会OB)
登壇者:加藤哲朗(ka na ta デザイナー、dobyonly編集長)


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1700~1900
トークセッション3【「つくる を きる」の未来】
概要:「つくり方」がオープンになっていったとき、これからファッションに関わる私たちの在り方はどのように変容するのであろうか。「つくる を きる」の未来についてファッションは更新できるのか?会議実行委員のメンバーを招いて議論する。


モデレーター:泉澤拓志(繊維研究会代表)
登壇者:水野大二郎(慶應義塾大学環境情報学部専任講師、京都大学デザイン学ユニット特任講師、『vanitas』編集委員、 FabLab Japan Network メンバー)、横山泰明(WWD JAPAN)、金森香(NPO法人ドリフターズ・インターナショナル、シアタープロダクツプロデューサー)、永井幸輔(弁護士、Arts and Law、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン事務局)×齋藤歩(編集者、繊維研究会OB)




こちらのトークイベントへのご参加もお待ちしております。
皆様お誘い合わせの上、ぜひご来場下さい。





繊維研究会 一同

2013年11月1日金曜日

つくる を きる






技術はクリエイションの担い手を広げる。
パソコンが個人の手に渡ったときのように、今日、服づくりにおけるそれは着実に我々に近付いてきている。



従来のプロフェッショナルな服づくりでは、つくる過程は構想したデザインと完成形をつなぐ透明なものである。
一方民主化された服づくりにおいて、過程は色を持ち、新たなかたちを形成する。



その色を取り出して衣服をつくること。
それはこれからの新たな衣服のデザインを考えることである。







2013年度 繊維研究会は
”過程が生む新たな衣服のかたち”を模索します。








「つくる を きる 展」

date 2013/12/1(Sun)


place 代官山 HILLSIDE ANNEX-A
open 12:00 / close 19:00
entrance free





皆様お誘い合わせの上お越し下さい。
心よりお待ちしております。







繊維研究会 一同



2013年10月10日木曜日

どうする、東コレ



 
 NYから始まり、ロンドン、ミラノ、パリと開催されてきたファッション・ウィーク。いよいよ東京でのファッション・ウィークが始まろうとしている。この東コレと呼ばれる東京でのファッション・ウィークだが、遡ると実は70 年代半ばから始まり今に至っている。現在は日本ファッション・ウィーク推進機構(以下「JFWO)という組織が主催し、2011年より「メルセデス・ベンツ」を冠スポンサーとして迎え、再始動した。この時より「メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク東京」という恐らく皆さんの馴染みのある名称となったのである。







 強力なメインスポンサーを付けて再始動した東コレ。再始動から何シーズンか経った昨今、この東コレについてよく耳にする話がある。



「メディア、バイヤーが来ない」



 もちろんゼロという訳ではないだろう。ただ4大コレクションと比較した際の全体の割合が少ないというのである。また、国内だけでなく海外からのメディア、バイヤーの来場者数が増えず、依然として少ないということも警鐘されている。つまり、国際的な認知を得られずにいるということだ。そしてまた、各ブランドの関係者による内輪的で盛り上がりに欠けるファッション・ウィークだと主張する意見も少なくない。それでは一体なぜ、東コレがこのような現状になってしまったのだろうか。




  JFWO」という組織が抱える問題

 ここで一つ興味深い記事がある。朝日新聞デジタル515日の「東京コレクション 再び輝くために」という記事の中で、アンリアレイジのデザイナー、森永氏が次のように発言している。

 「JFW主催のファッションウイーク開催時期に新作のショーを行っていますが、JFWには加入していない。ブランドを設立して11年目。参加を誘われていますが、入るメリットがないのでお断りしています。JFWが現状のままでは、参加してもビジネスにつながらないと思うからです。
 僕は世界で勝負したい。ショーとは本来、商売を拡大するためにやるものなのに、JFWはショーの開催自体に力を入れています。そこから先の、物を売っていく道筋が整備されていないのです。(1)

 新体制後、一般応募ブランドや国内の著名人の招待、六本木から渋谷への会場の移転などにより国内からの注目を集めるため、様々な戦略を仕掛けてきた。しかしそれらは結果として新人の育成や知名度のアップを優先させ、各ブランドが本来のビジネスとしての機能を果たせずにいるように思えてならない。開催することに全力を注ぎ、一種の「お祭りムード」を漂わせているJFWOという組織体制自体に先の問題の一因があるように思われる。








メディア、バイヤー側の立場から
 
ただメディアやバイヤーにもそれなりの理由があるようだ。海外から彼らが来ない理由の一つとして地理的な要因がある。彼らはただでさえ欧米のファッション・ウィークを回るのに長期間オフィスに戻れない状態が続く。それからさらに極東にある日本にわざわざ足を運ぶのが難しいのであろう。それ以上に東コレに求心力があれば良いのだが、国内市場のみを意識したサイズ展開や主要トレンドからかけ離れたコレクション等は、他国からしたらあまり魅力が感じられないのだろう、彼らのほとんどが足を運ばないというのが現実である。ここに東コレの求心力の無さが裏付けされている。


また国内のメディア、バイヤーの多くは保守的で急速な利益確保のため、人気のあるブランドしか取材、買い付けをしない傾向にあり、地方や小規模なセレクトショップからスタートしたブランドが売れるようになってから初めて受注を始めるという場合も少なくない。

また、日本のファッション誌の特徴として海外のようにヴィジュアルのイメージで発信する媒体は少なく、ほとんどがカタログやカルチャー誌のいずれかの範疇に収まってしまう。つまりそれらを伝えるための出版物が少ないとも言える。


さらに言えば、日本の特徴(日本だけでは無いかもしれないが)として、一度ブームが起きれば街中こぞって同じ格好をする様な傾向が見られる。これでは突出した才能も成熟する前にただのブームとして切り捨てられてしまう可能性がある。持ち上げられるだけ持ち上げられ、消費されて空気のような存在になってしまった例はいくつか見受けられる。もちろん彼らメディア、バイヤーの本心としては新しいデザイナーを支援したいと思うところがあるかもしれないが、これらのことを考慮すると実際には安定するまで手を出すことが出来ず、結局東京のファッションシーンを盛り上げられずにいるようだ。




デザイナーの立場から

 また、デザイナー自身のバックボーンも少なからずこの問題に起因すると思われる。先述の森永氏や数名のデザイナーたちを除けば一般的に東コレに参加するデザイナー達はクリエーションに注力するばかりで市場に目を向けていないとよく言われる。しかし、そこには彼らが過ごしてきた90年代のコンセプチュアルな服作りとそれに対する00年代の反動、それと並行する日本の90年代ストリートファッションの開花が要因している。


 80年代までの西洋中心的なモードに対して一石を投じたコムデギャルソンとヨウジヤマモト。サブカルチャー、アヴァンギャルドの役割を果たし90年代にはモードの中核を担うほどに成長していったことは有名であろう。その後、「グランジ」、「脱構築」、「アンチ・モード」の代名詞と共にこの流れを引き継いだマルタン・マルジェラ。彼らによる衣服の再定義はその後メインカルチャーとなり、次世代のデザイナーたちへ多大な影響を及ぼすことになった。
 ところが80年代から始まったこのコンセプト重視のクリエーションは90年代の終わりに成熟を迎えた。そしてLVMHを筆頭とした MA、ファストファッションの台頭、衣服の民主化等により、00年代では洋服は「精神的な実験の場」から「服を着る人自身を中心とした直観的、感覚的なもの」へと移行していった。

 また、社会的ヒエラルキーや宗教によるジェンダーのタブーが弱く、洋服の歴史の浅い日本では西洋文化はすべてフラットに消費された。そのため、90年代には西洋モードとアメリカのポップカルチャーがミックスされたストリートカルチャー(APEUNDERCOVER等)が花開くこととなった。このストリートカルチャーの台頭により従来の西洋コンプレックスは徐々に小さくなった。しかし、その副産物として、等身大の自分を肯定するような現実主義的な価値観が生まれた。原宿付近で撮られたスナップ写真等を見ればこの価値観は一目瞭然だろう。


「精神的実験としての服づくりと売れる服づくり」

コンセプチュアルなクリエーションで駆け上がった時代、及びその後の商業主義への移行を経験し、成長してきた彼ら。それに加えて花開いた自己肯定的な価値観。彼らがこの狭間で苦悩するのは容易に想像できると思う。






  東コレの今後は?

これまで先の問題の要因を多角的に述べてきたが、それでは一体東京コレクションは今後どうあるべきなのか。

わずかな資金で商品としての服を作っても評価されない市場であれば、ブランド側は「アート、造形としてのファッション」に留まったり、または「writtenafterwards」の山縣氏のように「教育としてのファッション」という新しい市場を切り開き、既存のブランドとの差別化を図ったりするというのは間違った戦略ではないのかもしれない。しかし結果的に排他的、内向的、あるいは自己満足的な服作りや戦略と呼ばれるに過ぎず、問題は何も変わらない。

もちろんそのトレンドやマーケットに左右されない自由なクリエーションが東京コレクションの良さだと捉える人もいるだろう。しかし、これからの日本ファッションの産業を担う次世代のデザイナーであるという自覚の希薄さが彼らから伺えてしまう。また、我々がそれらを良さだと捉えるなら、現行のJFWOという組織制度は果たして必要があるのだろうか。ファッション・ウィークを組織立てて行っていく以上は、各ブランドがある程度「ビジネス」という形で成功を収めるのは当然な流れである。もしもそれを市場である我々が望まず、これが東京の良さだと言い張るのなら、現状でのJFWOの存続の価値はないと言える。ファッションとは本来、人に夢を与え勇気づける楽しいものだから、純粋にファッションを楽しむための祭典としてのショーであるならばJFWOは巨額の大金を投資する必要はない。


 決して東京コレクションの存在自体を非難しているわけではない。ただ、日本におけるメディア及び小売り側の体質を変えるのは上に述べたように難しいし、日本という地理的ビハインドを上回るようなクリエーションは一朝一夕で出来る物でもなく、海外のメディアやバイヤーが足を運ぶ日はまだ遠いだろう。そしてデザイナー達が挑戦できるような市場を作るのにも時間がかかると思われる。それならばJFWOはショーという媒体を組織立てるのに固執する必要はなく、直接的なデザイナーへの支援、教育制度の充実、などの他の方法を模索する方が良いのではないだろうか。JFWOはこれらの点を留意した上でもう一度今後の動向を決める必要があるのかもしれない。



皆さんはどうあるべきだと考えるか。
留まるか変わるか、世界に向けて羽ばたくのか。
どうする、東コレ。





繊維研究会
text: Yusuke Nishimoto
edit: Hidaka Yamada







(1)    朝日新聞デジタル「東京コレクション 再び輝くために」2013.05.15



参考URL

・メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク東京HP
・日経ビジネスデジタル「デザイナーズブランドが育たない日本」2013.01.16


2013年7月25日木曜日

赤い靴闘争

 


 2011年、我々にとって非常に関心のある、ある興味深い事件があったことはご存知だろうか。クリスチャン・ルブタン(以下ルブタン)とイヴ・サン・ローラン(以下YSL)の法廷争いが起きたのである。
 



 そもそもみなさんはルブタンをご存知だろうか。ハイヒールと真っ赤なソールをトレードマークとするパリの有名なシューズブランドである。街でこんなデザインの靴を履いた女性を見たことがある人も多いのではないだろうか。




 
 一方後者のYSL。ロゴはあまりにも有名であるし、最近は「エディ・スリマン」がデザイナーに再就任したことでモード界の話題をさらったことは記憶に新しい。





 そんな両者が法廷で争った。ルブタン側がYSL側を訴えたのだ。ここで問題となったのはYSLがその年に発表した靴である。




 上の写真にて、左のYSLの靴はソールも含め真っ赤であるが、これをルブタン側が「レッドソール」の商標権の侵害で訴えた。つまりYSLの靴はルブタンの「コピー」であると訴えたのである。
 第一審にてYSL側は、赤いソールはすでにルイ14世や、『オズの魔法使い』のドロシーが履いているためルブタンが最初ではないし、一つの「デザイン」であると主張。結局、ルブタン側の訴えは取り消されることになった。
 しかし控訴審にて第一審の判決が覆される。靴底と靴のその他の部分が対照的な色使いである場合に限り、ルブタンの「レッドソール」の商標権が認められるという判決になったのである。



 こうしたデザインとコピーとの境界線をめぐる問題は高級ブランドから廉価店まで後を絶たない。一般的に現在の社会では「コピー」をすることは一種の悪であるように考えられている。しかしながら、ファッションという特殊な産業においては、一概に「コピー」が良くないものであると断定することが出来ないのが事実である。
 
 確かにコピーによってあるブランドが損害を受けるようなことがあればそれは当然批判されることになろう。しかしファッション業界(モード)というのは、パリやミラノ等のファッションショーを通して恣意的に流行遅れを作り、購買を促すという側面があるが、それはそこで生み出された新しさで次のシーズンのトレンドの方向付けをし、大衆ブランドにどういう服を作らせるかを潜在的に誘導するという意味合いも含んでいる。
 また、ショーという発表形式が体系的に整備された以前においても、そこにはファッションアイコンとなる権威的存在があった。人々はそれらのアイコンを崇拝し、「真似」をしてきたのは過去、現在のいずれを見ても紛れもない事実である。このようにファッションとは、新作や権威が集団的模倣により大衆に伝わっていく(=トップダウン)伝達様式をもった独特の文化なのである。



 しかし2000年以降、徐々にこのサイクルが狂い始めた。それはインターネットの普及とファストファッションの台頭が考えられよう。
 従来のトップダウン形式では、ショーを見ることができたのは一部の顧客とバイヤー、ジャーナリストなどの人たちであり、発表から実際にお店に並ぶまでに半年の時間を有した。しかしインターネットの普及により、誰もがショーを(しかもここ最近ではリアルタイムで)観ることが可能になる。すると圧倒的なスピードで製品を世に送り出すことが出来るファストファッションブランドは、半年を待たずしてオリジナルのブランドよりも一早くそのデザインを市場に送り出すことが可能になってしまった。こうしてこのデザインの伝達方式は崩壊されつつあるのが現状であろう。とは言え、上で述べた構造上、ファストファッションのしていることが一概に悪いとは言い切れないのだ。


 
 だがこの現状に答えるようにハイファッションとファストファッションの両者による歩み寄りが見られるようになってきた。その一例が、両者によるコラボレーションであり、最もわかりやすい例がHMとデザイナーズブランドによるダブルネームであろう。
 HMはこれまで数多くのブランドとコラボをしてきた。日本上陸時のコム・デ・ギャルソンとのコラボや去年のメゾン・マルタン・マルジェラとのコラボで話題になったのはまだ記憶に新しい。次回はここ最近勢いを増しているフランスのイザベル・マランとのコラボを予定している(下写真)。積極的にコラボレーション戦略を打ち出しているのである。



 これによりコラボした両者ともに話題性を得られるのはもちろんだが、ファストファッション側はこれまでに得られなかった高級感を、ハイファッション側はより多くの人が手に取れる、通常では提供出来ないような価格で販売が出来た。これらにより両者ともに新たな顧客を獲得し得たであろう。
 

 また、ファストファッション側がその豊富な資金力でハイファッション側の会社を傘下に入れるような動きが近年、少しずつだが見られるようになってきたのである。例として、セオリーがファーストリテイリング(ユニクロを展開している会社)に、トム・ブラウンがクロスカンパニー(earth music&ecologyを展開している会社 )に買収されるなどがあげられる。傘下に入ることで、豊富な資金により経営基盤は安定するだろうし、買い手としては事業が拡大し、新たな市場を開拓することによる新規顧客の獲得が可能となる。まだこれらの動きは顕著とは言いがたいにしても、一種の歩み寄りと捉えることが出来るのではないだろうか。
 もちろんこれらの例に様々な問題が付随するのは容易に想像出来るが、今回は勝手ながら論から外させて頂く。




 コピーとデザインの境界線問題で必ずと言って良いほど話題にあがるファストファッションとハイファッション。しかし先に述べたようにここ近年、両者の歩み寄りが見られてきた。争うのではなく、お互いの良い所を最大限生かし合おうとするのがこれからの流れなのかもしれない。そうするならばこの先、更なる歩み寄りが見られることは必然であろう。そんな流れの中、銀座のドーバー・ストリート・マーケットとユニクロを結ぶ連絡通路、これが両者の歩み寄りの象徴にふと見えてこなくもない。この先、この両者がいかなる歩み寄りを見せるか、目を凝らして観察して行くに値すると思われる。




 繊維研究会
text : Yusuke Nishimoto,  Hidaka Yamada