2013年10月10日木曜日

どうする、東コレ



 
 NYから始まり、ロンドン、ミラノ、パリと開催されてきたファッション・ウィーク。いよいよ東京でのファッション・ウィークが始まろうとしている。この東コレと呼ばれる東京でのファッション・ウィークだが、遡ると実は70 年代半ばから始まり今に至っている。現在は日本ファッション・ウィーク推進機構(以下「JFWO)という組織が主催し、2011年より「メルセデス・ベンツ」を冠スポンサーとして迎え、再始動した。この時より「メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク東京」という恐らく皆さんの馴染みのある名称となったのである。







 強力なメインスポンサーを付けて再始動した東コレ。再始動から何シーズンか経った昨今、この東コレについてよく耳にする話がある。



「メディア、バイヤーが来ない」



 もちろんゼロという訳ではないだろう。ただ4大コレクションと比較した際の全体の割合が少ないというのである。また、国内だけでなく海外からのメディア、バイヤーの来場者数が増えず、依然として少ないということも警鐘されている。つまり、国際的な認知を得られずにいるということだ。そしてまた、各ブランドの関係者による内輪的で盛り上がりに欠けるファッション・ウィークだと主張する意見も少なくない。それでは一体なぜ、東コレがこのような現状になってしまったのだろうか。




  JFWO」という組織が抱える問題

 ここで一つ興味深い記事がある。朝日新聞デジタル515日の「東京コレクション 再び輝くために」という記事の中で、アンリアレイジのデザイナー、森永氏が次のように発言している。

 「JFW主催のファッションウイーク開催時期に新作のショーを行っていますが、JFWには加入していない。ブランドを設立して11年目。参加を誘われていますが、入るメリットがないのでお断りしています。JFWが現状のままでは、参加してもビジネスにつながらないと思うからです。
 僕は世界で勝負したい。ショーとは本来、商売を拡大するためにやるものなのに、JFWはショーの開催自体に力を入れています。そこから先の、物を売っていく道筋が整備されていないのです。(1)

 新体制後、一般応募ブランドや国内の著名人の招待、六本木から渋谷への会場の移転などにより国内からの注目を集めるため、様々な戦略を仕掛けてきた。しかしそれらは結果として新人の育成や知名度のアップを優先させ、各ブランドが本来のビジネスとしての機能を果たせずにいるように思えてならない。開催することに全力を注ぎ、一種の「お祭りムード」を漂わせているJFWOという組織体制自体に先の問題の一因があるように思われる。








メディア、バイヤー側の立場から
 
ただメディアやバイヤーにもそれなりの理由があるようだ。海外から彼らが来ない理由の一つとして地理的な要因がある。彼らはただでさえ欧米のファッション・ウィークを回るのに長期間オフィスに戻れない状態が続く。それからさらに極東にある日本にわざわざ足を運ぶのが難しいのであろう。それ以上に東コレに求心力があれば良いのだが、国内市場のみを意識したサイズ展開や主要トレンドからかけ離れたコレクション等は、他国からしたらあまり魅力が感じられないのだろう、彼らのほとんどが足を運ばないというのが現実である。ここに東コレの求心力の無さが裏付けされている。


また国内のメディア、バイヤーの多くは保守的で急速な利益確保のため、人気のあるブランドしか取材、買い付けをしない傾向にあり、地方や小規模なセレクトショップからスタートしたブランドが売れるようになってから初めて受注を始めるという場合も少なくない。

また、日本のファッション誌の特徴として海外のようにヴィジュアルのイメージで発信する媒体は少なく、ほとんどがカタログやカルチャー誌のいずれかの範疇に収まってしまう。つまりそれらを伝えるための出版物が少ないとも言える。


さらに言えば、日本の特徴(日本だけでは無いかもしれないが)として、一度ブームが起きれば街中こぞって同じ格好をする様な傾向が見られる。これでは突出した才能も成熟する前にただのブームとして切り捨てられてしまう可能性がある。持ち上げられるだけ持ち上げられ、消費されて空気のような存在になってしまった例はいくつか見受けられる。もちろん彼らメディア、バイヤーの本心としては新しいデザイナーを支援したいと思うところがあるかもしれないが、これらのことを考慮すると実際には安定するまで手を出すことが出来ず、結局東京のファッションシーンを盛り上げられずにいるようだ。




デザイナーの立場から

 また、デザイナー自身のバックボーンも少なからずこの問題に起因すると思われる。先述の森永氏や数名のデザイナーたちを除けば一般的に東コレに参加するデザイナー達はクリエーションに注力するばかりで市場に目を向けていないとよく言われる。しかし、そこには彼らが過ごしてきた90年代のコンセプチュアルな服作りとそれに対する00年代の反動、それと並行する日本の90年代ストリートファッションの開花が要因している。


 80年代までの西洋中心的なモードに対して一石を投じたコムデギャルソンとヨウジヤマモト。サブカルチャー、アヴァンギャルドの役割を果たし90年代にはモードの中核を担うほどに成長していったことは有名であろう。その後、「グランジ」、「脱構築」、「アンチ・モード」の代名詞と共にこの流れを引き継いだマルタン・マルジェラ。彼らによる衣服の再定義はその後メインカルチャーとなり、次世代のデザイナーたちへ多大な影響を及ぼすことになった。
 ところが80年代から始まったこのコンセプト重視のクリエーションは90年代の終わりに成熟を迎えた。そしてLVMHを筆頭とした MA、ファストファッションの台頭、衣服の民主化等により、00年代では洋服は「精神的な実験の場」から「服を着る人自身を中心とした直観的、感覚的なもの」へと移行していった。

 また、社会的ヒエラルキーや宗教によるジェンダーのタブーが弱く、洋服の歴史の浅い日本では西洋文化はすべてフラットに消費された。そのため、90年代には西洋モードとアメリカのポップカルチャーがミックスされたストリートカルチャー(APEUNDERCOVER等)が花開くこととなった。このストリートカルチャーの台頭により従来の西洋コンプレックスは徐々に小さくなった。しかし、その副産物として、等身大の自分を肯定するような現実主義的な価値観が生まれた。原宿付近で撮られたスナップ写真等を見ればこの価値観は一目瞭然だろう。


「精神的実験としての服づくりと売れる服づくり」

コンセプチュアルなクリエーションで駆け上がった時代、及びその後の商業主義への移行を経験し、成長してきた彼ら。それに加えて花開いた自己肯定的な価値観。彼らがこの狭間で苦悩するのは容易に想像できると思う。






  東コレの今後は?

これまで先の問題の要因を多角的に述べてきたが、それでは一体東京コレクションは今後どうあるべきなのか。

わずかな資金で商品としての服を作っても評価されない市場であれば、ブランド側は「アート、造形としてのファッション」に留まったり、または「writtenafterwards」の山縣氏のように「教育としてのファッション」という新しい市場を切り開き、既存のブランドとの差別化を図ったりするというのは間違った戦略ではないのかもしれない。しかし結果的に排他的、内向的、あるいは自己満足的な服作りや戦略と呼ばれるに過ぎず、問題は何も変わらない。

もちろんそのトレンドやマーケットに左右されない自由なクリエーションが東京コレクションの良さだと捉える人もいるだろう。しかし、これからの日本ファッションの産業を担う次世代のデザイナーであるという自覚の希薄さが彼らから伺えてしまう。また、我々がそれらを良さだと捉えるなら、現行のJFWOという組織制度は果たして必要があるのだろうか。ファッション・ウィークを組織立てて行っていく以上は、各ブランドがある程度「ビジネス」という形で成功を収めるのは当然な流れである。もしもそれを市場である我々が望まず、これが東京の良さだと言い張るのなら、現状でのJFWOの存続の価値はないと言える。ファッションとは本来、人に夢を与え勇気づける楽しいものだから、純粋にファッションを楽しむための祭典としてのショーであるならばJFWOは巨額の大金を投資する必要はない。


 決して東京コレクションの存在自体を非難しているわけではない。ただ、日本におけるメディア及び小売り側の体質を変えるのは上に述べたように難しいし、日本という地理的ビハインドを上回るようなクリエーションは一朝一夕で出来る物でもなく、海外のメディアやバイヤーが足を運ぶ日はまだ遠いだろう。そしてデザイナー達が挑戦できるような市場を作るのにも時間がかかると思われる。それならばJFWOはショーという媒体を組織立てるのに固執する必要はなく、直接的なデザイナーへの支援、教育制度の充実、などの他の方法を模索する方が良いのではないだろうか。JFWOはこれらの点を留意した上でもう一度今後の動向を決める必要があるのかもしれない。



皆さんはどうあるべきだと考えるか。
留まるか変わるか、世界に向けて羽ばたくのか。
どうする、東コレ。





繊維研究会
text: Yusuke Nishimoto
edit: Hidaka Yamada







(1)    朝日新聞デジタル「東京コレクション 再び輝くために」2013.05.15



参考URL

・メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク東京HP
・日経ビジネスデジタル「デザイナーズブランドが育たない日本」2013.01.16